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分かり合えない思いは、無理にうなずくためではなく
いつかの楽しみに、そう、取っとこう。

(「最大公約数」;RADWIMPS)

げんざいRAD再発見キャンペーン実施中。
今まであまり注目してなかった曲や歌詞に、改めてハッとなることが多いです。
RADの奥深さ恐るべしー。

はて。


好きでたまに覗いてるブログさん。
お母さんへの思いが綴られてた、言葉に、はっとした。


あなたからじゃなかったら、
生まれてきたくもなかった。


こんなこと、
今のあたしに言えるだろうか。


また、あるアマ作家の方の小説で。


私がいなくなったら、
悲しんでくれる人はいるかもしれない。
でもいなかったらいなかったで、みんな普通に暮らしていける。


当たり前のことだ。
みんな別々の個体なんだから、誰かが消えたって影響なんて受けない。
いまの自分が、他人にとって、そんな凄い存在だとも思えない。ってか笑い話の領域だわ、そんな自惚れ。
では逆に、いまの自分に、「いなくなったら自分が駄目になってしまう人」がいるだろうかと考える。
平凡平和な高校生がナニを、という話かもしれないけど、誰かを大事だの好きだの言う限り、つねにつきまとうことだと思う。
その好きは、どれほどか。

代わりのきく好きが、寂しいものとは思いません。
どんな好きも、結局は代わりがきくものかもしれないから。
出会いを運命と呼ぶか偶然と呼ぶかは心持ちの問題だ、というのと同じで。

ましてや「世界で一番好きだ」なんて壮大な勘違い。
でも勘違いだからこそうつくしーのかなとも思います。
本当に世界に赤い糸が張り巡らされてて、人生をかけて「既定=運命の相手」を探す、だなんて酵素じゃあるまいし。
そんなパズルみたいな「好き」は寧ろロマンに欠ける。
誰しも、相手に「一番好き」だと言うとき、世界中の人間と触れ合って比べて「あなたが一番」と言ってるわけじゃない。
会ったことのない大多数の人間のことはなかったことにして、一番だと言っている。
それは本能からくる直感だったり、ただの盲目だったり、色々背景はあると思うけど、絶対に「一番好き」が「正しい」ことはあり得ない。
もしかしたらこいつの他にもっといいヤツがいるかも。常にそういう可能性をはらんでる。
はらみながら、それでも人は敢えて、地球上のどこかにいる「こいつよりもっといいヤツ」の可能性を無視してでも、目の前の相手を「一番好き」だと言うんだ。
それは賭けで、思い込みで、やっぱり勘違いだと思う。
人生なんて短いから、仕方なく、「出会える範囲」で見繕ってるんだよと言われたらそうかもしれない。
でもなんか、勘違いで人を好く、まして愛するなんてすげぇことだなぁと思ってしまう。赤い糸伝説なんかよりずっとロマンチックだ。
まぁ、「好き」があまりにインフレだったら、ロマンもくそもないかなぁ。。。


……と、好きもなにも紙面でしか知らない人間がえらそに語る話じゃないー(´Д`)
スイマセン。。。


話が意味不明な方向に( ̄□ ̄;)!!


えと、まぁごたごた色々考えつつ、しかし、このさきあたしゃ「あたしがいなくなったら悲しむ以上のなにかをくれる人」を得られるのだろうかと、また自分大好き的考えに耽ったりします。
しかしすぐやめます、虚しいから笑。

逆に、いまいなくなって、悲しむじゃすまない人がいるか。

指折り数えて、真剣に考えてみる。
でもまず、「いなくなったら」というのが感覚掴めない。
それくらい、私の生活にぴったり寄り添ってくれていて、それをひっぺがすのが無理。
まぁでもそんなの、今考えることでもないか。
そうやって周りのひとにランクをつけたって仕方がない。


ただ、たまに、人との交わりのなかで、目に見える何か、はっきり形をもった何かが欲しくなるときがあって、そんなん価値ないって分かってるけど、すごい寂しくなるときがあるのです。
冬だからか。
わからんけど。
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